和三盆糖とは、「竹糖」と呼ばれる砂糖黍を原材料に、現在も機械等をあまり使うことなく作られている数少ない国内産の砂糖です。「竹糖」は、徳島県と香川県の一部、県境にある阿賛山脈の南側(徳島側)と北側(香川側)で、現在も栽培されている在来品種で、「阿波和三盆糖」は、この阿賛山脈南側(徳島県側:具体的な住所は徳島県板野郡上板町)で取れた物を呼びます。竹糖は、現在南方で栽培されている砂糖黍とは見た目も、またそれ自体の味もかなり違います。
戦前期においては、西日本数ヶ所にて砂糖黍栽培が行われてましたが、細くて効率の悪い「竹糖」は、和三盆糖として使用される物を除き、絶えてしまった様です。それ自体、風味と味を持つ和三盆糖は和菓子には欠かせない国内糖として使用され、製造され続けてきました。味にこだわった用途の為、品質の良くない地域からは消えて行き、良い砂糖黍が取れる所のみ残ったと言えるでしょう。
現在、阿波和三盆糖が栽培、製造されているのは、徳島県板野郡上板町と隣の土成町の一部です。近年の食材ブームと共に裏方であった和三盆糖もその名を知られ、高級食材として一部のデパート等に並ぶようにもなりました。が反面、農業従事者の高齢化と農家自体の減少により、砂糖黍の栽培面積も減少しているのも事実です。
和三盆糖の製造は、砂糖黍の収穫が始まる12月より始めます。最初の作業は砂糖黍を絞り汁を取り出すこと。昭和24,5年までは石のローラーを牛が回して絞っていましたが、今ではこの行程だけは全て機械で行います。
絞られた砂糖黍の汁は「釜場」に移されます。絞られたばかりの汁は、あく(主にの穂の部分から出る)を非常に多く含み、濁った緑色をしています。荒釜はこのあくを抜くための釜で、目の細かい網であくを根気よく救い取るのですが、一釜上げるのに一人がつきっきりで約30分かかります。非常に手間のかかる作業となりますが、このあく抜きを完全に行なわないと、最後の和三盆糖の色がドス黒くなってしまう為、重要な工程です。ただ一部の所では作業の省力化の為に、薬品類とフィルターを用いた機械を使用しているところもあります。
砂糖黍汁は、その後、中釜、そして上げ釜と炊きあげられます。中釜は単に煮詰め釜で、上げ釜はその名の通り仕上げの釜で、この釜で煮詰め上がりを見て、「よし、上がり」と言うことになれば、次の冷し釜に移され冷却作業に入ります。炊き上げは釜場作業の中で最も重要であるにも関わらず、温度計も糖度計も一切使わず、かき混ぜる竹棒からのしたたり具合と、あとは勘だけで上がりを判断します。職人技的要素が大きく、最も経験を積んだ者が「主炊き」と呼ばれ、その役にあたります。
炊き上げ後、冷やし釜に移した糖蜜は、攪拌しながら冷却していきます。結晶化が均一になるようにしながら少しずつ冷却するのが、冷し釜の役割です。その後、和三盆糖独自の精製工程、砂糖をより白く仕上げるための「研ぎ」を4〜5回行います。研ぎは気温湿度、そして砂糖の性質によって水の量、研ぎの時間等調整する要があり、歩留まりも良くして均一な砂糖を手際よく仕上げるにはかなりな経験が必要です。
一度の研ぎに一日かかるだけでなく熟練した職人が必要なこともあり、和三盆糖製造において、この古い手法を守って作っている所は非常に限られています。研ぎの過程を経て仕上がった和三盆糖はふるいにかけ粉砕し、その日のうちに乾燥させてようやく製品になります。