くろず(黒酢)命名の由来
坂元醸造株式会社 代表取締役会長 坂元 昭夫

■坂元昭夫と有地滋教授との出会い
教授は、広島のご出身。
ご先祖は殿様で、今でも広島には「有地城跡」「有地川」等の地名が残っており、
かつての有地家の活躍を知ることができます。
昭和48年(1973年)10月、近畿大学に東洋医学研究所が開設され、
初代研究所所長に有地滋教授が就任されました。
坂元は一面識もなかったのですが、或る時、教授より「御社の天然米酢を分けて
欲しい。」という内容の電話をいただきました。
教授は、九州大学の坂元の友人の医師達や友人でもある薬品分析学の大倉教授の
研究を知られて、天然米酢の健康効果に興味を持たれたようでした。
昭和48年当時は日本人の平均寿命はまだ世界1位では無かったのですが、
毎年ぐんぐん伸びている時期でした。
その後、有地教授に初めてお目に掛かった際、次のようなお話を頂きました。
「日本人の平均寿命は間もなく世界1位になるでしょう。
平均寿命が伸びているのは、第二次大戦以前に生まれて、粗食で育った方々が
高齢になられて伸びている訳です。いずれ第二次大戦後に生まれて
アメリカナイズされた食事を食べる日本人が増えてくると、
平均寿命は逆に短くなるのではないかと私は心配しています。
『戦前の日本人が食べていた食材で健康によいものをピックアップして
後世に伝えること』・・・これこそが私のライフワークだと考えています。
実は後世に残したい食材の第一号が御社の壺づくり天然米酢で、
これから研究を進めたい。」との事でした。
■くろず(黒酢)の誕生
それから2年後の昭和50年(1975年)10月中旬の事、坂元は大阪の
千里阪急ホテルのレストランで8名の研究者の方々と夕食を取っていました。
坂元以外は全て近畿大学医学部の医師で、坂元醸造の「壺づくり天然米酢」の
人体に対する機能性を研究されている先生方でした。
食事の最中に、リーダーの有地教授から次の様な提案が出されました。
「我々が『壺づくり天然米酢』の研究を始めて丸2年が過ぎた。殆ど全ての
生活習慣病の予防及び治療に有効である事が分かってきた。
折角、研究員全員が集まったので、皆でよい名前を命名しよう。」
そこで坂元が「弊社のこの『壺づくり天然米酢』は熟成させる程、色が黒く
なります。」と説明したところ、
有地教授夫人(女医)が「『黒酢』と言う名前は如何ですか」とご提案され、
その場で、全員一致で賛成し決定いたしました。
この瞬間に「くろず(黒酢)」と言う名前が誕生したのです。
全員でワイワイガヤガヤやっている最中の出来事でした。
なお「黒酢」の商標は、坂元の不勉強で商標等に全く興味がなく、
今では一般名となり多くの人に知れ渡っています。