鮑屋

屋号説明

小田原・代官町にて創栄400年
相模湾で獲れた新鮮なお魚をお届けして
信用と信頼を築いてきました。

屋号説明

建久3年(1192年)「伊勢大神宮神領注進状」の中に相模国大庭から伊勢神宮の供采物として のし鮑が献上されていたことが記されている。どうやらその頃より相模湾と鮑の関係が明らかになってきた。鮑屋の現本社が所在している所は、その昔代官町とよばれていた一角である。

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現市川家の菩提寺である不老山無量寺の過去帳には、寛永13年(1624年)に戒名が記されている所をみると、それ以前にこの地に居を構えていたと思われる。しかし多くの古文書が、 大正12年の関東大震災に焼失してしまった為、明確なことは記せないのが残念でならない。その代官町は魚座の一集であった。当時、他浦の魚まで集荷し販売するという魚問屋は出現して いないようだった。また店を持っていなかった事から、我が家は魚座や浜で直接買った魚を農村へ売り歩く「振り売り」すなわち現代の行商であったようだ。

屋号説明

城下町、宿場町として繁栄した小田原藩は、藩の財政源とし漁業に力を入れ、江戸への品物を送る 手段と工夫により江戸の問屋場に小田原町の名を残すまで至った。単独の網元漁師のみでは、販売、 集荷など対応しきれず、網業、引き子、魚商等の役割ができ、真鶴、岩、米神をはじめとする近郊 漁場の魚を取りまとめていた。鮑屋もその一端を担っていたと思われる。
12代六左エ門(安政年間の頃)に漁業を始め、小田原近郊に網をはり、遠くは房州まで網を張って いたようである。

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【岩漁場について】 明治中期に漁場が財政難の際、多額の出資手助けした証書が残っている。
【荷印について】 先祖の六左衛門の幼名「崎次郎」の頭文字をとり「さ」となったとされている。
15代市川敬太郎が、今の業務体制をつくり16代三郎が法人化し、株式会社鮑屋として 現在に至っている。