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青龍殿の大舞台 |
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将軍塚紅葉 |
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将軍塚ライトアップ |
青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(注1)の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡(注2)の一つに数えられています。青蓮院門跡は、古くより皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院(注3)とされております。
(注1)天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院
(注2)五箇室…青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡
(注3)門跡寺院…門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のこと。
桓武天皇は都を奈良から京都の南方、長岡に移されましたが、いろいろと事故が続きました。この時、和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。天皇はその勧めに従って延暦十三年(794年)、平安建都に着手されました。天皇は、都の鎮護のために、高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。この「将軍塚」は、国家の大事があると鳴動したという伝説が、源平盛衰記や太平記に残されております。
今秋、この将軍塚に隣接して、新たな名所『青龍殿』が誕生します。この建物は、大正天皇の即位記念として京都市に竣工された歴史的巨大木造建築を青蓮院門跡が京都府から譲り受け、歴史遺産として後世に残すとともに、『青不動明王』を安置し護摩祈祷を行うお堂として再建するものです。
激しく燃え盛る焔(ほのお)を背にした青不動明王が、濃茶褐色の画絹に描かれた「絹本着色 青不動明王二童子像」。
青不動明王の性格にふさわしい威厳と荘厳さを持つ、大変迫力のあるこの画像は、*日本三不動画の一つとして平安時代からたいへん篤く信仰されてきています。信仰の上ではいうまでもありませんが、美術的観点からも、非常に貴重なものであります。今般、この国宝「青不動明王」が、文化庁による3年の修理を経て、初めてのご開帳がされることとなりました。
*日本三不動画…青蓮院の青不動・高野山の赤不動・三井寺の黄不動(曼殊院には国宝「模写黄不動」があります)