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土屋禮一《淵》2013年 |
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山本眞輔《いのち巡る》2013年 |
明治33年、当時オーストリア公使だった牧野伸顕は海外の文化事情に肌で触れ、ウィーンを訪れた文部官僚に公設展覧会を開催することの大切さを情熱的に語っています。フランスでは、ルイ14世時代の1667年からサロンで開かれていた鑑賞会が公設展に発展しており、それがフランスの芸術面の高さに大きく貢献していました。「我が国も公設の展覧会を開き、文明国として世界に誇れるような芸術文化を育成しようではないか」牧野は日本の美術の水準をもっと高めたいという夢を抱いていました。この夢が実現するのが明治39年です。文部大臣になった牧野はかねてより念願の公設展開催を決め、明治40年に第1回文部省美術展覧会(略して文展)が盛大に開催されたのです。この文展を礎とし、以来、時代の流れに沿って「帝展」「新文展」「日展」と名称を変えつつ、常に日本の美術界をリードし続けてきた日展は100年の長きに渡る歴史を刻んできました。
最初は日本画と西洋画、彫刻の3部制で始まりましたが、昭和2年の第8回帝展から美術工芸分野を加え、昭和23年の第4回日展からは書が参加して、文字通りの総合美術展となったのです。
昭和33年からは、民間団体として社団法人日展を設立して第1回日展を開催し、さらに昭和44年に改組が行われました。
平成24年には、内閣府より公益社団法人への移行認定を受け、団体名称を「公益社団法人日展」に変更しました。
この長い歴史が示しますように、日展はたえず新しい時代とともに、脱皮をかさねながら日本美術界の中核として、近代日本美術の発展に大きく貢献してきました。
今日では、奥田小由女(おくだ・さゆめ)理事長、土屋禮一(つちや・れいいち)副理事長・事務局長を中心に日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書と幅広く日本の美術界を代表する巨匠から、第一線で意欲的に活躍している中堅、新人を多数ようして世界にも類のない一大総合美術展として、全国の多くの美術ファンを集めています。
ところで日展東京会場展は、99年間にわたり東京上野の東京都美術館で開催してまいりましたが、日展100年目を迎える節目の年である2007年からは、東京・六本木に開館した「国立新美術館」に会場を移し、新たなスタートを切りました。
東京会場展終了後は、全国主要都市で巡回展が開かれ、多数の入場者があります。これだけでも世界に類のないことですが、それだけに、わたくしたち日展作家は、これからもいっそう日本の現在美術の健全な発展に大きな責任と、自負を持っていきたいと思います。