来たる3月24日(水)より国立新美術館にて開催予定であった企画展「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」は、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、バチカンからの作品輸送が困難なため、国立新美術館での開催が中止となりました。お申込みいただいたお客様にお詫び申し上げます。
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バチカン図書館 © Apostolic Vatican Library |
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《大坂・伏見・都の信徒からの奉答書》 1621年 墨書・ペン・手彩色・装飾料紙/350x975 mm バチカン図書館 Barb. or. 152 (3) © 2020 Biblioteca Apostolica Vaticana |
皺の一本一本まで描きとる写実描写、ドラマティックな明暗、人物ひとりひとりの感情表現の巧みさ。カラヴァッジョ(1571-1610)の芸術は現代の私たちを魅了してやみません。このカラヴァッジョの最高傑作のひとつであり、バチカン美術館を代表する名品《キリストの埋葬》(1603-04)が2021年春、東京にやってきます。2019年に来日したローマ教皇からの、日本への贈り物として実現する展覧会です。本展では大画面の映像やパネルによって作品の理解を深めるほか、同時代の版画によって、この作品が描かれた歴史的な背景を説明します。
歴史的な背景としては、ローマ・カトリック教会の改革運動があります。その結果としてカラヴァッジョのような革新的な表現が生まれ、それを嚆矢としてバロックと呼ばれる美術が成熟することになります。同時にこの改革の一環として、世界各地へのキリスト教の布教活動も行われました。本展では同時代の日本各地の信徒集団がローマ教皇へ送った書状もバチカン図書館から借用することになっており、これをあわせて展示することで、カラヴァッジョの傑作を大きな視点から見直します。
《キリストの埋葬》について
ローマで画家として成功を収めたカラヴァッジョによる、成熟期の代表作。もとはローマに建造されて間もないサンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会(キエーザ・ヌオーヴァ)の礼拝堂のために描かれた。17世紀の批評家はカラヴァッジョの最高傑作のひとつと記している。強い明暗のもと、死せるキリストとその取り巻きを写実的に描いたこの絵は、均衡の取れた構図に、ローマの古典的な美術を研究・消化した跡が窺える。またキリストの肉体には、ミケランジェロの彫刻《ピエタ》との関連が指摘されている。ルーベンスはこの絵の模写を残しており、ほかにも後世の多くの画家たちの着想源となった。1797年、ローマを占領したナポレオン軍によってパリに運ばれ、ルーヴル美術館(ナポレオン美術館)で展示された。返還交渉の結果1815年に返却されたが、元の教会ではなくバチカンに戻され、今に至っている。
カラヴァッジョとは
16世紀末から17世紀初めにかけて、美術の表現に革新をもたらした画家。ミラノに生まれ同地で修業したのち、当時の美術の中心であるローマへと活動の場を移した。徹底的な写実表現や強い明暗、ダイナミックで演劇的な構図によって、主題と感情を見る者に直接的に伝える宗教画を描いて絵画表現を一変させた。それらはあまりの斬新さにより、しばしば拒絶反応を引き起こすことにもなった。風俗画や多くの肖像画によっても名高い。1606年に殺人事件を起こしてローマを出奔、ナポリやシチリア、マルタへと逃避行を続けた後、1610年に恩赦を期待してローマへ戻る途中没した。ルーベンスやベラスケス、レンブラントなど、17世紀美術全体に影響を与え、バロック美術の先駆者としての役割を果たした。
奉答書について
1613年の江戸幕府による禁教令以降、日本のキリシタンたちは厳しい迫害に苦しんでいた。 1619年、彼らのもとに教皇パウルス5世から励ましの書簡が届けられる。大いに感動した各地の信徒たちは教皇への奉答書をしたため、それらはローマに届けられた。畿内、奥羽、中国地方の内播磨、島原、長崎から送られた計5通がバチカン図書館に所蔵されており、今回の展示ではうち3通を借用して展示する。400年以上を経て初の里帰りである。
金泥で図柄や模様の描かれた着色紙などの贅沢な料紙を用い、そこに日本語とラテン語で、書簡への感謝や信仰を守る決意が記されている。禁教時代の日本の信徒たちの様子を伝えるとともに、日本とバチカンとの交流を伝える一級の史料である。