COVA(コヴァ)

屋号説明

ひさしく愛されて200年―
大切な人へのギフトに、自分へのご褒美に。
ミラノより笑顔をお届けいたします。

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COVAについて ―その激動の歴史とともに―

上流社会のサロンとなった「カフェ・コヴァ」
有名ブティックが立ち並ぶミラノのモンテ・ナポレオーネ通りの一角に、「カフェ・コヴァ」はあります。しかし、もともとのカフェ・コヴァは、スカラ座の隣にありました。創業1817年。ナポレオン軍の兵士であったアントニオ・コヴァによってミラノのスカラ座の傍らにオープン。時は革命の嵐吹き荒れる19世紀ヨーロッパ。創設者アントニオ・コヴァは、カフェを社交界のサロンにしようという理想を描いていました。客層は、貴族、財界、芸能界、思想界の名士、オピニオン・リーダー的な人々に限定。カフェでは、常に流行の最先端をいくようなイベントを主催し、ミラノの社交界に話題を提供し続けました。

ナポレオン・ボナパルト率いるフランスによる支配も束の間、再びミラノがオーストリアの支配下に帰することとなります。1848年にはオーストリア・ハプスブルク家に対する市民の叛乱、「ミラノの5日間」の会合場所としてCOVAが利用され、その名を歴史に残します。

モンテナポレオーネ8番地
第2次世界大戦中の1943年に空爆によってスカラ座と共に店舗は崩壊。しかし、カフェを愛する人々の熱い支持を受けてわずか2年後にコヴァは再建されます。1950年にはモンテナポレオーネ8番地へ移転し、現在に至っています。ヨーロッパ史の片隅で、ハプスブルグ家の凋落とイタリア王国の樹立、歴史に翻弄されながらも実質的イタリアの首都と呼ばれるまでに発展と栄華を極めたミラノ。その激動の歴史と共に、COVAらしい歴史を着実に刻んできました。

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芸術とCOVA

かつてコヴァには、『赤と黒』を記したスタンダール、19世紀最大のオペラ作曲家であるヴェルディなどが出入りしていたようです。 特にヴェルディは、戦前までスカラ座の隣に位置したコヴァへ通いつめ、『椿姫』や『リゴレット』をカフェのテーブルで記譜したと言われています。様々なアーティストたちにインスピレーションを与えたコヴァには、古き良き時代の華やかなりしカフェ文化がありました。

また、ヘミングウェイの『武器よさらば』の中には度々コヴァが登場し、理想のデートコースとして描かれています。


「彼女と一緒にミラノですごせたら、どんなにいいだろう。コヴァで食事をしてから、まだ暑さの残る夕暮れにキャサリン・バークリーとマンゾーニ通りをそぞろ歩き、運河の対岸に渡ってから運河沿いの道をホテルに向かう。たぶん、彼女は一緒にいってくれるだろう。・・・・・・」
(『武器よさらば』より)

ヘミングウェイにとってコヴァは大切な思い出の場所であったのかもしれません。彼の代表作品『武器よさらば』は、自身のイタリアでの戦争体験や当時ミラノで恋人だった看護婦アグネスとのロマンスが深く影響しています。

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