創業明治15年 奈良・吉野 吉田屋

屋号説明

吉野葛の歴史とともに歩んだ吉田屋は、「旨い」葛銘菓の数々を
世界遺産「奈良・吉野」で作り続けて百有余年が経ちました。
美味しさの理由は、まごころを打つがモットーの菓子屋です。

吉田屋の歴史

〜時代背景・下市町〜
その昔、京都や奈良を中心とする天皇や貴族の金峯山信仰が盛んになると共に、下市は仏教文化の影響を受け、歴史的にも特異な存在となっていき、平安時代になると、貴族や有力社寺が荘園経営の為大挙して下市に進出し、活況を呈することになりました。

「下市」というのは「上市」に対する呼称で、吉田屋本社付近に流れている秋野川が当時、吉野地方の入り口であったため、中世以降、交易が盛んになり、毎月2・7日は、「市」が開かれた事によります。

天文5年(1536年)頃には、「山家なれども下市は都、大阪商人の津でござる」とうたわれ、日本最初の商業手形「下市札」が発行されました。以降商工業都市として、あるいは願行寺の寺内町として目覚しい発展を遂げ、吉野地方の中心的な存在として政治・経済・文化の上でも重要な役割を果たしてきました。

慶応3年(1867年)大政奉還後維新政府が出現すると、翌年4年(1868年)には奈良県が誕生、明治21年(1888年)に町村制が公布され、翌22年(1889年)に下市村以下11ヶ村が統合され、下市村が誕生、翌年明治23年(1890年)4月1日、下市村は下市町として発足しました。

〜吉田屋創業から現在に至るまで〜
こうした時代背景の下、創立者吉田ミネは明治15年(1882年)「吉田屋」を創業しました。

当時、下市は大峰山へ登る修験者の為の宿場町でした。交通がまだ発達しておらず、下市口駅で降り立った修験者達は、宿場に架かる千石橋を渡り、約10里(40km)の道を大峰山まで歩いたといわれています。下山してきた修験者たちの精進揚げと宿泊の場となる下市にて「吉田屋」は、山上参りの山伏達のために、土産物として葛や乾物、菓子等を製造し、下市の旅籠(各旅館)に、売りに行ったのがその始まりです。
近年は、製造の自動化が進み、菓子作りの風景も一変しましたが、その頃、「吉田屋」には20人程の職人がいて、いろんな菓子を手作りで作っていました。団子や、羊羹、生姜糖、柿菓子等わざわざ吉野山からもリヤカーで買い付けに来ていたということです。当時は、いろんな物を考案し、試行錯誤していたと思われる様子がその頃のしおりからうかがえます。
昨今の目まぐるしい時代変化の中にあっても、その時代にあったお菓子を作ることで幅広い層のお客様からも受け入れられる様日々工夫して参りました。

社長のコメント

80年間変わらず作り続けている葛餅(羽二重餅)や、寒い季節にはぴったりの葛湯、木型に起こした美しい葛菓子(干菓子)、葛わらび餅や葛ごまどうふなど、今日まで沢山の葛製品を謹製し続けて参りました。

近年では欧米化していく食生活の中、日本に昔からある食材のひとつ「葛」のおいしさ、力強さを次世代に伝えるべく五代目の新しい葛菓子作り「ゆるり」をスタートし始めました。先代から受け継がれた知恵と技術を生かしながら、ここ奈良吉野より変わらぬ味を皆様にお届けさせて頂けるよう、感謝の気持ちと共に努めて参ります。

奈良特産品 吉野葛

くずまんじゅう、くずきり、くずもち・・・・・・、涼を呼ぶその透明感から、葛(くず)といえば夏の和菓子に欠かせない食材と思われているが、冬の季節にも欠かせない食品です。昔は風邪を引くと、必ず熱い葛湯をふうふういいながら飲んだものです。また、根を乾燥したものが葛根(かっこん)で、風邪の生薬として、よく知られています。晩秋から冬にかけて、吉野葛の生産はピークを迎えます。

◆役行者が広めたとも・・・・・
吉野葛の原料となる葛は、秋の七草の一つで、初秋に紫紅色の花を咲かせる。全国各地の山野に、ごく普通に見られる大形のつる性草木。生命力が強く、他の木に巻き付くと、やがてその木は枯れてしまう。だが、ヤマイモに似た形の大きな塊根からは、葛粉と呼ばれる澱粉(でんぷん)が多量とれる。古くから大和は葛の名産地としてよく知られ、葛の名は吉野の国栖に由来するとも言われている。また、伝説によれば7、8世紀の頃、大和葛城山にいた修験道の祖・役小角が、吉野の山奥で修行中、草根木皮を摂取して飢えをしのいだが、そのとき葛の根から澱粉をとり、寒水にさらして、長く貯蔵することを考えだしたのが、吉野葛の起こりとも考えられます。いずれにしても、わが国では、万葉集や古今和歌集の中で歌われるほど、親しまれた有用植物で、葛粉は澱粉全体の代名詞ともなっていた。とくに吉野葛は良質で、葛を用いた料理には「吉野仕立て」といわれるほどである。

◆採取後すぐ粗葛に・・・・・
さて、吉野葛の原料となる葛根は、現在、吉野山系、大和高原、金剛山系などの山々から集められる。根に澱粉が十分貯えられる晩秋から冬にかけて掘り起こされた根は、現地で押し砕き繊維状にした後、水でもみ洗いし、布袋でこされる。そのまま一昼夜置いてから沈殿させ、上澄み液を捨てると粗葛ができる。掘ってから三日以上置くと沈殿が変質するため、すぐに作業に入るのだ。

◆水さらしで純度を高める・・・・・
摂取地から運びこまれた粗葛は、繰り返し水洗いされ、澱粉とかすにわけられ純度を高めていく。最初の水はあくで真っ黒。何度も冷たく清らかな水でさらしていくと、ミルクのような白い液体になっていく。さらに水を加えて二昼夜静置しておく。上澄みを捨てると、沈殿速度の違いのため、表面には細かい繊維のかすや渋、底には土や砂が集まっている。これらの不純物をそぎ落とし、残った白い固まりを桶(おけ)へ。再び井戸水で溶き、沈殿させ、不純物を削り落としていく。この作業を繰り返す。さらに澱粉を純粋にするために絹ふるいで澱粉を分けることもある。葛粉が寒い時期にしか作れないのは、水温が高いと不純物が分離しにくくなるため、ここで褐色の粗葛が純白の本葛に生まれ変わるのである。

◆1ヶ月半かけて自然乾燥・・・・・
十分にさらされた澱粉(「さらし葛」という)は、小穴のある底板の上に綿布を敷いた桶に移され、水分を滴下させてから、高野豆腐のような形に切り出され、乾燥される。冬のおだやかな日差しの下で、表面がざっと乾いたら、風通しのよい倉庫へ移される。そこで1ヵ月半ほど自然乾燥され、ようやく葛粉ができあがる。このため、純粋の葛粉は粉状ではなく、石を砕いたような不整形の硬い固まりとなるのだ。10貫(37.5Kg)の根から、1.2〜2貫(4.5〜7.5Kg)の葛粉が得られるという。