宮崎ひでじビール
ひでじビールは九州・宮崎のクラフトビール。
私たちの想い
柔軟な発想力と高い品質の追及。
欧州で生まれ、世界で愛されているビール文化を継承するだけでなく
多くの仲間、お客様とともに、日本のビール文化を、さらに花開かせたい。
地方から世界を見据え、「地域と職人の手」で醸す、ひでじならではの味づくり。
私たちが目指すのは「グローカル・クラフトビール・ブルワリー」です。
*グローカル(Glocal)とは、グローバル(Global:地球規模の、世界規模の)とローカル(Local:地方の、地域的な)を掛け合わせた造語 で、「地球規模の視野で考え、地域視点で行動する(Think globally, act locally)」という考え方を源としています。
味づくり・特徴
ドリンカビリティあってこその、個性。
ビールの世界では、「ドリンカビリティ」という考え方があります。
単に「飲みやすさ」と訳されることもありますが、
私たちの目指す「CRAFT BEER DRINKABILITY」〜クラフトビール・ドリンカビリティ〜それは、
「体が自然に求めてしまう!個性を楽しみながら、何杯飲んでも、美味しいビール。」
ひとくち、またひとくち・・自然に味わえるバランスのとれた個性。
私たちはそんなビールを生み出すために、
柔軟な発想力と高い品質の追及で、「綺麗な味わいの」ビール造りに取り組んでいます。
注)限定醸造ビールでは、枠を外れて楽しむ場合もあります。それもまた少量生産ならではの楽しみ・・!
目指すは世界で通用するビール
延岡市街地から車で約20分。行縢山(むかばきやま)が間近に迫り、森をぬうように清流が流れる豊 かな自然の中に、当社宮崎ひでじビールの地ビール工場があります。豊かな自然と清らかな水に恵まれた土地で自家製酵母にこだわり独自の味を追求し「世界に 通用するビール」を目指しております。お陰様で今では地ビールコンテストにおいても数々の賞を獲得するなど、評価を頂けるようになってきたのではないかと 思っています。
事業撤退の危機も
今でこそコンテストにおいても賞を頂けるようになりましたが、創業当時、1996年に地ビール業界に参入して数年は、廃業の危機にも直面する苦難の時代が続きました。
当社は96年、石油販売などを手掛ける延岡の中小企業の一部門として設立。90年代半ば、酒税法の規制緩和によって全国的に地ビールブームが起こった時期 です。多くは酒造メーカー、観光・ホテル産業・三セク事業体などがこぞって参入し、ご当地ビールと観光との一体的取り組みが全国各地で盛んになりました。
しかし、第一次地ビールブームが去り、全国でも「淘汰(とうた)の波」が押し寄せる中、厳しい事業運営を強いられる事になりました。業績は思うように伸びず、2000年代半ばには、社内で「事業撤退」についての議論も浮上するほど苦戦を強いられておりました。
酵母の自家培養で光明
当社最大の”売り“は、「スッキリとした味とキレが特徴」のラガー系ビール。味にごまかしのきかないラガー系へのこだわりは、2006年に開始した「酵母 の 自家培養」の成功によって可能になり、当社にとって「最後の賭け」とされた自家培養の取り組みは事業継続への光明となりました。
抜本的な品質改善、今までの常識にメスを入れる。それがビール酵母の純粋自家培養技術の導入でした。自家培養を成功させるには、温度や湿度管理のほか、無菌状態の設備が必要になり工場内に設備を増強。培養の方法については専門家の指導を仰ぎました。
自家培養の酵母によるビールの完成品を初めて飲んだ時、それは他に例えようのないほどの衝撃を受けました。それまでの自分たちを全て否定しなければならな い結果がはっきりと出たのです。当然複雑な心境ではありましたが、前を向くのみ。これでいけるとスタッフ全員が確信したのを今でもはっきりと思い出しま す。
地ビール業界は、香りが強いエール系の商品が主流といえ、大手と同じ土俵で戦うラガー系を主力商品に据えるのは業界内では非常に珍しい。だが敢えて自家製 酵母に切り替え、ラガー系で勝負できるそのやりがいこそ、終わりなきチャレンジ精神を煽ってくれているような気がします。
未来へむけて。
2010 年11月、従業員の後押しもあり『宮崎ひでじビール(株)』を設立。前身の親会社から事業を買収、当時県内唯一の地ビール専門メーカーとして再出発しました。 以降、販路を県内中心から県外へと広げ飲食・小売・通販にて購入して頂いている沢山の方に評価していただけるようになりました。
さらに、宮崎農援プロジェクトと銘打ち、日向夏や完熟キンカン、宮崎マンゴーや、ゆず・紫いも・麦など宮崎県産品を使ったビール・発泡酒を商品化。
Brew Local を合言葉に九州、宮崎から地域の魅力を発信し続けます!