総本家新之助貝新
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志ぐれ蛤と言えば、桑名の≪貝新≫
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総本家新之助貝新
■創業は、旧幕時代にさかのぼります。
東海道42番目の宿場町として発展した桑名は、江戸時代中期になると
伊勢神宮おかげ参りで大勢の旅人が集まり、米や材木の集積地としても発展しました。
初代貝屋新之助は、蛤の貝殻を薬膏入れや紅の容器として売っていましたが、
桑名名産の蛤を保存して食べられる様にと工夫を重ねます。
当初、煮蛤(にはまぐり)という名前を付けて売り出しましたが、
何かいい名前はないかと相談したところ、大垣に住んでいた
松尾芭蕉の十哲のひとりである各務支考(かがみしこう)により、
俳句の季語でもあった時雨(しぐれ)から時雨蛤(しぐれはまぐり)と名付けられます。
これを街道筋で売り出したところ大いに評判になり、東海道を伝わり
江戸や大坂まで広がったということです。
これにより、暖簾を改め「総本家新之助貝新」とし、時雨蛤の味を極め、
現代まで代々と引き継がれるようにあいなりました。
現在では、大阪・名古屋・四日市・津方面の各有名百貨店もに出店し、
老舗の味を伝えています。
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桑名のはまぐりは有名
揖斐・長良・木曽の三大河川の河口に位置する桑名は、
自然の恵みから様々な味の特産品が生まれました。
桑名の浜から沖合いにかけては、木曽三川の淡水と海水がほどよく混じり、
貝や海苔・白魚などが豊富に採れる場所でした。
とくに蛤は「浜の栗」と呼ばれるほど色・艶がよく、
ふっくらとした大きな身で、古くから全国的に知られていました。
「その手は桑名の焼き蛤」という洒落で有名な桑名の焼き蛤は、
汁分の旨みを逃がさず早く焼くために、貝の目(ちょうつがい)を切って、
貝の口が開かないようにして焼きます。
江戸時代には桑名から富田にかけての東海道沿いに、
焼き蛤を食べさせる店が軒を連ねたそうです。
十返舎一九のあの「東海道中膝栗毛」にも名物の焼き蛤は登場します。
現在でも桑名市の赤須賀漁港にはたくさんの漁船がならび、蛤や蜆をとっております。
昔から肝臓には貝類が良いと言われていますが、
これは肝汗排出を促す必須アミノ酸タウリン酸と
肝機能を助けるビタミンB2が含まれているためです。
また、蜆、あさり、蛤等の貝類は良質のタンパク質を含み、
消化呼吸が良く肝臓に負担をかけません。
その他カルシウム、リン、鉄分も多く滋養豊富な食品です。
※時雨蛤の原料産地は中国となります。
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新之助貝新こだわりの製法
時雨蛤の製法は、まず蛤を生のまま一つ一つむいて
水でよく洗い砂を除き、沸騰した湯に入れて湯煮します。
これをあげ湯を切り、生引溜醤油を沸騰させたハソリ(大鍋)に
その貝を粗く入れ、半時間位煮て出来上がります。
この時に刻んだ生姜を入れて風味をつけます。
多めの溜の中で浮かしながら煮るので、これを「浮かし煮」と呼び、
「時雨煮」の製法の大きな特徴です。
使用する溜には、以前よりの「もと溜(たまり)」に
新しい溜を加えて用います。
時雨蛤が他の佃煮と違って独特の風味を持つのは、
このように 老舗独自の製法で吟味して製造されるからです。
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この言葉は文豪・笹川臨風氏が新之助貝新の時雨蛤を久しく愛用。
新之助貝新が東京支店の開設の祝いとして扇間に御揮毫なされた名句で、
「時雨蛤は香りも味も双つながら共に絶品である」という
意味を込めての書であるとのことです。