別子飴本舗

屋号説明

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別子飴の由来と抱負

初代社長越智慎一の発案で、地元新居浜市の発展の基礎は元禄4年から開鉱約280年(昭和48年3月閉山)まで続いた別子銅山を讃え、世に広めることによって、四国唯一の工都新居浜市を売りだすことは、地元物産と観光誘致を促進する道と考え「別子」の称号を乳菓飴製品に冠したのである。 従って初期は「いよぢ別子飴」としてローカル的なものから、今日では本四連絡橋瀬戸内しまなみ街道開通にともない「瀬戸内海観光みやげ」として、四国路を代表する名産品として努めている。

別子銅山は、昭和48年3月に閉山したが、この300年近い輝く歴史と伝統を未来永久に語り伝える、唯一の産物としての自負をもってさらに品質の向上と拡販に意を注いでいる。 製品の質向上と同時に体裁(包装)にも意を注ぎ、1ヶ包みのロール紙の品質・形状・色彩に留意している。 とくに、紙箱および外装(包装紙)は、別子銅山の歴史を物語る意匠に力をいれ、往時の坑内外の活躍ぶりを図案物語化したものである。これは、今は亡き商業デザイナー松本紅白先生の傑作として名声をあげており、「別子飴」の商号とともにすべて登録商標されている。

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