越後村上うおや

屋号説明

鮭のまち村上で創業二百年
厳選した最高の素材と
昔ながらの伝統の製法で作りあげた
老舗の味をお届けします。

屋号説明

鮭と村上の関わり  長い歴史の物語

「鮭のまち」として知られる新潟県村上市。その調理法は100種類を超えるといわれ、身はもちろん頭や内蔵、中骨や皮に至るまで捨てることなく味わいつくします。村上の人々はなぜ、それほどまでに鮭を大切にするのでしょうか。 

村上と鮭。

その歴史は古く、平安時代には遠く京都の王侯貴族に三面(みおもて)川の鮭が献上されていたことが記録に残っています。江戸時代には村上藩の主要な財源となっていた鮭。しかし江戸時代後期になると、だんだん不漁になっていきました。そんなとき、藩の下級武士・青砥武平次(あおとぶへいじ)が世界ではじめて鮭の「回帰性」を発見します。回帰性、とは鮭が生まれた川に戻ってくること。その性質を生かし、三面川に産卵に適した分流「種川」を設け、鮭の産卵を助けることで鮭の回帰を促しました(種川の制)。いわば世界初の「自然ふ化増殖システム」です。このことで三面川の鮭の漁獲高は飛躍的に増え、藩の財政も潤ったのです。これによって村上は「鮭のまち」として全国的に知られるようになりました。明治時代には鮭の人工孵化にも成功。それによって得た財源を旧士族達の子弟教育に使い、そのことから立身出世した人を「鮭の子」と呼ぶようになりました。米が不作の年には鮭によって命を救われてきた村上の人々。一尾の鮭を大切に思い、活かしきろうとさまざまな料理法を開発しました。塩引鮭、焼漬、酒びたし…そうした先人の知恵と工夫を受け継ぎ、【うおや】では伝統の手法でひとつひとつ丁寧に仕上げた鮭製品を作り続けています。

屋号説明

うおや初代助五郎と鮭

越後村上うおやは寛政年間、初代上村助五郎が鮭の元売業を起こし、以来さかなと共に200年、現在の店主で九代目を数えます。

古い文献には文政元年(1818)九月十九日肴町助五郎(上村氏四十六歳)が鮭川入札でその年の鮭の漁業権を金1317両で落札。
翌20日には網子7,8人と羽黒神社に参詣し祈願したと記述があります。(江見啓斎翁日誌) 
(当時の1両は約13万円とのことですから、落札価格は1〜2億円位の値段だったと思われます。)

<運上金>
鮭のその年の漁業権を入札にして落札した金額を藩に納めさせるシステムで、運上川の入札は、毎年秋の初めに村上町の大年寄りの責任で行われました。
最高額の入札者がその年の大納屋になってサケ漁を行い、落札額を運上金として村上藩に納入しました。
以来200年。
鮭を愛し、こだわり続けて、現在九代目。
皆さまには長きに渡ってご愛顧いただき、中には親子二代で買いにこられる方も。
本当にうれしい限りです。
 
これからも村上ならでは、【うおや】ならではの美味を全国の皆さまにお届けしてまいります。