DEMEL(デメル)

屋号説明

歴代のオーストリア皇帝に愛された老舗「デメル」。
今でもハプスブルク家の紋章がブランドマークです。
菓子の都ウィーンが誇る至高の味を堪能ください。

■ デメルの歴史
〜1786年、ハプスブルク家ゆかりの地で生まれる〜
カフェ・コンディトライ「デメル」。「デメル」の歴史は、フランス革命から遡ること3年、1786年に始まりました。そして200年以上のときを経た今でも、世界最高峰の洋菓子舗として、世界の人々に愛され続けています。オーストリア皇帝として長きにわたりヨーロッパに君臨したハプスブルク家の紋章を今もブランドマークとしていただいている「デメル」。その歴史はまさにウィーンの歴史、ハプスブルク家の歴史とともにありました。

〜王宮劇場とデメルの店は地下道で繋がっていた〜
ときのヨーロッパでは、当時貴重な砂糖を使ったお菓子を皇帝やその家族、王侯貴族らのために作る「ツッカーベッカー」と呼ばれる菓子職人がいました。その一人、ルートヴィッヒ・デーネが、王宮劇場の舞台側入り口の前に、ロココ様式の店を開きました。この店が現在の「デメル」の原型となっています。かのマリーアントワネットの母であり、ハプスブルク家の中でも女帝の誉れ高きマリア・テレジアの長男、ヨーゼフ2世の統治時代のことでした。そして1799年、初代ルードヴィッヒが亡くなった年に店はウィーン王宮御用達菓子司となり、その後、王宮劇場に寄り添うように時代を刻んできました。店と劇場は地下道でつながっており、劇場での催し物があるたびに、この地下道を使ってお菓子を運んでいたのです。

〜デメルを訪れずしてウィーンを語るなかれ〜
初代の息子、アウグストは政界入りを決意。次代の役割を店の職人長、クリストフ・デメルに譲りました。歴史はまさにフランス革命からナポレオン戦争と激動の時代を迎え、ウィーンもまた国際都市としてヨーロッパの中心的役割を果たすことになります。
1814年、ウィーン会議が開催され、そこに集まる王侯貴族たちのために、ウィーンの菓子職人たちは腕を競い合いました。
1867年、クリストフが亡くなると息子のヨーゼフとカールが店を継ぎ、店名も「クリストフ・デメルの息子たち」と改めました。この店名が今も受け継がれているのです。
1888年、店舗も王宮劇場の移転に伴い、現在の場所である王宮そばのコールマルクト14番地に引越し。「デメルを訪れずしてウィーンを語るなかれ」と言われた王宮との深い縁を感じさせます。「デメル」の歴史は、重厚な石造りの建物をシンボルに、今も脈々と受け継がれているのです。


■ デメルを愛した人々
デメルの名を一躍高めたのが、現在でも変わらぬ姿で売られている「アンナ・トルテ」。デメル3代目女主人の名前を冠したトルテです。このトルテをこよなく愛したのがハプスブルク家皇帝のフランツ・ヨーゼフ一世、彼はクリスマスには直々にデメルにプレゼント用のお菓子を注文するほどの「お菓子ファン」でした。また、このフランツ・ヨーゼフ一世の妻はその美貌が今日でも伝説的に語り継がれる王妃エリーザベト。そのエリーザベトがフランツ・ヨーゼフ一世の誕生日にプレゼントしたのが、デメルのイチゴジャムであったと記録されています。
皇帝とその王妃がその愛情を「甘いお菓子」で表現したなんともロマンティックな逸話です。そしてザッハトルテ、アンナトルテ、ジャムと並んで有名なのが手作りのチョコレートです。ひとつひとつ丹念に手作りされた幾種類ものチョコレート、その紙箱の美しくロマンチックなラベルには、たくさんのファンがいます。
外箱にもデメル歴代の主人達の愛情がたっぷりと込められた、お菓子たち。今日もまた世界のどこかで、すてきな物語をはぐくんでいることでしょう。

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