ホワイト ローズ WHITE ROSE
始まりは徳川幕府御用達の傘問屋。
究極の安全傘を求めて
ビニール素材は完全な防水素材であることに着目して、開発以来60年、啓蒙に勤めてまいりました。そして、今、ホワイトローズは全面透明による視界の良さと、「雨・風・雪」から外出した人間を守り安全に帰宅していただくツールとして傘を位置づけております。なぜ暗く、視界の悪い悪天候の時にわざわざ視界をさえぎるカーテンのようなものを持ち歩きその中に閉じこもるのでしょうか?
あるハンディーのある方が、「透明の傘が一番安心なのです。自分は周りがよく見えるし、すれ違う方も自分をハッキリ認識して、道をゆずってくだすったり、少しだけスキ間をあけてすれちがってくださる。日本って思いやりのある国ですね。」「だから、壊れにくい透明の傘で歩くと感動を味わえるのです。」とおっしゃります。
人間を守ってなんぼ!
それがホワイトローズの製品コンセプトです。
徳川幕府御用達の由緒ある傘問屋
ホワイトローズの歴史は徳川幕府まで遡る。
享保6年、甲斐の住人、武田源勝政が江戸駒形に出て煙草商人となり、初代武田長五郎と名乗った。四代目武田長五郎から雨具商に転向。
五代目に至り、幕府御用を許され、大名行列の雨具一式を大量納入した。
六代目中期より人力車の帆張り、天幕等も扱い、続いて和傘販売も開始。
七代目に至り、本格的に和傘問屋とし て盛にし、岐阜、紀州、久留米、高松等の各地で生産された和傘を中心として、国内屈指の業績をあげるに到る。
ビニール傘の誕生
科学技術・新素材開発の昭和30年代、合成樹脂繊維を代表する「ナイロン」の誕生は、その糸の均一性、高い染色堅牢度、縫製のし易さから急激に普及し、雨傘の大量生産を望むマーケットに喝采を博しました。防水強度もアクリル樹脂コーティング加工により大幅に向上しました。
しかし、9代目須藤三男とそのスタッフは、既に完全防水素材と確認・検証・評価されたビニールフィルムを大胆にも直接傘骨に張ってしまおうと発想したのです。
ビニールは雨傘のひとつの極み
原型は三菱とモンサントの技術提携会社が開発したもので、お馴染みのものでは「農業用ビニールハウス」がある。 透明で視界をさえぎらず閉塞感がない快適さ。暑さ寒さに強いという耐候性。糸状の従来繊維にたいして、 のし板状の組成であるので、雨が入る余地がない。防水性という点では大変合理的で優れた材料である。
高周波ウェルダー加工という方法で、 常板と真鍮の型のあいだに生地をはさみ、高周波のやりとりで接着をして、生地と生地を縫い合わせる。 そういった特殊技法のひとつひとつが積み重ねたホワイトローズの歴史そのものを物語る。