白木恒助商店

天保6年(1835年)に岐阜で創業
日本酒の古酒の歴史は古く、鎌倉時代から存在しており、貴重な酒として飲まれていたという記録が残っている。
例えば鎌倉時代、日蓮上人様のお手紙の中に「人の血を絞れるが如き古酒...」という記述がある。
元禄時代の文献には、「古酒で酔いたる時は、祇園祭のごとく...」という記述もあるなど、広く古酒が飲まれていたことがうかがえる。
このことからも、歴史上証拠のある期間だけでも、約500年余りの流れがあり、文化として定着していたと云える。

田園が広がり、長良川の支流が流れる岐阜市北部の片田舎で、天保6年(1835年)に創業した当蔵は、裕福な地主の酒蔵ではなく、地主から米を買付けて酒を造る、いわゆる商人系の造り酒屋だった。
六代目の白木善次は、昭和40年代に若くして先代から家業を任される。
六代目は蔵の独自化について考え始めた。
そして、たまたま蔵の片隅に忘れられていた一升ビンを見つける。
4、5年は経っているだろうかー
恐る恐る封を切ってみた。黄金色の美しい色合い。
口に含むと、一年で飲む日本酒とはひと味もふた味も違ったものだった。

達磨正宗の古酒は色が濃いものほど味わいが深く、後味の余韻も長いという傾向があります。
従来の日本酒と比べると、シェリーや上質の紹興酒、マディラワインなどを思わせるものもあり、味わいに深みがあります。