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ホテルニューオータニ

400年の歴史を誇る広大な日本庭園に囲まれたラグジュアリーホテル
1964年の東京オリンピックのために誕生し、
伝統と進化が築きあげたおもてなしが誇りです。
屋号紹介
沿革
1964年09月 「ホテルニューオータニ」開業
1965年01月 国際観光ホテルに登録(ホ)第157号
1974年09月 「タワー(現・ガーデンタワー)」開業
1981年03月 宴会場「鶴の間」オープン
1984年09月 レストラン「トゥールダルジャン 東京」開店
1991年02月 「ガーデンコート」開業
1999年02月 ニューオータニ商事(株)と(株)ニューオータニエンタープライズが合併しエイチアールティーニューオータニ(株)に商号変更
2001年07月 アジアのトップホテルグループ5社による「Asian Hotels Alliance(AHA)」設立
2012年06月 (株)ニューオータニが(株)ニュー・オータニに商号変更
加藤清正の下屋敷
ホテルニューオータニ日本庭園の歴史は、400年以上前からの記録が残されています。
江戸時代初期、この地には、 朝鮮で虎退治をしたという伝説で知られる武将、加藤清正の下屋敷がありました。 そして二代・忠広の時に加藤家が改易になったのを機に、この屋敷は井伊家へと引き継がれ、幕末まで中屋敷として使用されました。
井伊直弼と紀尾井町の由来
井伊家は江戸幕府にあって強大な勢力を持った家柄で、中でも大老職をつとめた井伊直弼は、1858年、日本の鎖国を解いて米国のハリスと日米修好通商条約を結び、これを恨んだ攘夷派により 桜田門外で暗殺されたことで知られています。
紀尾井町の由来は、江戸時代この地に屋敷を構えていた紀伊徳川家、尾張徳川家、そして井伊家の頭文字をとって、後に名付けられたものです。
戦後の変遷
この土地はその後、伏見宮邸宅となり、松樹、楠の木に包まれた美しい庭園として知られるようになりました。 第二次大戦後、伏見宮家がここを手放すにあたり、外国人の手に渡ろうとしたのを、ホテルニューオータニ創業者である故大谷米太郎が、“この由緒ある土地を外国に売り渡すのは惜しい”として 買い取って自邸とし、荒れ果てた庭を大谷米太郎自ら陣頭指揮して改修しました。そして1964年、大谷米太郎は政府の依頼に応じて、東京オリンピックのため、この地にホテルニューオータニを建設。こうして、日本庭園はホテルニューオータニの一部となったのです。
日本庭園の今
それから、半世紀。
タワー(現:ガーデンタワー)や、ガーデンコートの建設により、日本庭園は少しずつ形を変えながらも、江戸時代から残る風情を今に伝えています。


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