にんにくや岡崎商店
にんにく日本一の産地、青森県田子町とその周辺地域から直送。
寒暖差が大きくにんにく栽培に適した気候でフルーツより甘い!
にんにく日本一の産地、田子町はヤマセの影響と盆地特有の気候で8月以外はこたつやストーブを使用するほど昼夜の寒暖差が激しいところです。
生物の細胞は0℃以下の低温にされされると、凍るまいとして自己防御反応で糖度を高めアミノ酸やアスパラギン酸が増加し更に身が引き締まり、甘味やまろやかさなどの奥深い味わいとなり熟成が進みます。
おいしい作物をつくるには、その作物に適した環境が必要です。
岡崎商店様の農場(青森県田子町)で収穫されたにんにくの糖度はなんと47.3度。用意した果物用の糖度計は測定限界(33度)で計る事ができず、ジャムや菓子用の糖度計で測定したほどです。
≪にんにく≫に託された山間のちいさな町・田子の未来
青森県三戸郡田子町は、南を岩手県、西を秋田県に接する、青森県最南端の町。「たっこ」と言う少し変わった響きの地名は、アイヌ語で「小高い丘」を意味する「タプコプ」から来ていると言われています。
人口およそ6000人、面積は242.10Km。その8割を山林がしめ、町内の上水道のすべてを湧き水でまかなうほど水資源も豊富な田子町の自慢は昭和37年から栽培に取り組んでいる≪にんにく≫。
しかし、生産量、質ともに全国トップクラスを誇る「にんにくの里」になるまでには、多くの人たちの努力と町の未来に向けた思いがありました。
雪深い山間の町・田子の土は、野菜づくりにはあまりむかない火山灰土壌。そのため農家の多くは出稼ぎで生計を立てていました。
そんな「出稼ぎからの脱却」を目指そうと、田子町の青年たちが「にんにく」の栽培に着手。古くからこの地で盛んだった畜産の堆肥を活用し、試行錯誤を重ねながら土壌改良に取り組みました。
数年後には、農協の「にんにく生産部会」が発足。栽培するにんにくの品種を高品質で人気の高い「福地ホワイト六片種」に絞り、徹底した優良種子の選抜を行うなど、品質の向上と安定供給に力を注ぎました。
こうした長年にわたる努力は実を結び、昭和50年には生産量、市場単価ともに日本一に。田子町は「日本一のにんにくの里」として全国にその名を馳せるようになったのです。
にんにく発祥とその歴史
にんにくはユリ科の多年草で原産地は中央アジアと言われています。日本にはインド、中国を経て奈良時代に伝わりました。主に健康管理に役立てられました。
ニンニクの成分については、1936年に故小秦博士が「スコルジニン」を発見、抽出に成功し、科学的解明が大きく前進しました。
さらに、1940年代にはアメリカとスイスの学者によって「アリシン」が発見され、ニンニクパワーが証明されるに至ったのです。