平安末期、鳥羽法皇の勅願により建立された峰定寺は平家ゆかりの名刹で、当時都から人々は歩いて祈りを捧げに通った。
当庵の初代「庄吉郎」はこの峰定寺に帰依していたが、明治半ばの頃、門前に宿坊を開いたのが美山荘のそもそもの始まりである。
美山荘は当初よりこの土地に由来する素材にこだわり、野草や花背の清流を泳ぐ魚、鯖街道に因んで 海のものも少し取り入れた食材で、代々かたちを変えつつも茶懐石の心を汲む「摘草料理」を造り上げて来た。
それは大宮人が野に出て若菜を摘む、まことに優雅な風情を料理に試みたもので、生活の糧の為の行為とは一線を画したものである。摘草はいわば生活の中の遊びの部分を司る行為と云えよう。
食を求め、日本の宿の文化に期待をかけつつ 秘かに足を運ぶ国内外のお客様に 良い食材と心地よい空間を提供し、それを良いエネルギーに変えていただく...。
鄙の都ぶりなる独自のかたちをつくる美山荘は知る人ぞ知る日本のオーベルジュ。
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