金城樓

屋号説明

時を超え、古の静寂に 身を委ねる。

屋号説明

金城樓について

金沢と共に創業百三十余年。
四季を超え、
月々の旬の味わいへのこだわりを深める金城樓。
美しく華麗な百万石文化の贅と粋を包み込み、
老舗料亭金城樓が心を込めて代々育んできた
伝統の加賀料理を、
ご接待、ご会食、ご慶事、ご法事など、
様々な場面でお役立てください。

★ミシュランガイド北陸 2021特別版にて、
北陸エリアで唯一の『5パビリオン(5つ星旅館)』の認定をいただきました。

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金城樓の歴史とあゆみ

創業の地である浅野川界隈(橋場町、尾張町、並木町、主計町、東山など)は、 古くから商人の街として発展しただけでなく、金沢の雅びを象徴する華やかな文化がたいそう栄えた地でもありました。この古き情緒をたたえる地で、金城樓は百三十余年の歴史を歩んできました。伝統文化と匠の技、そしておもてなしの心を丁寧に受け継ぎ、いまも尚、古都金沢を代表する老舗料亭のひとつとして親しまれています。

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ごあいさつ

1890年の創業以来、伝統の美術、文化、工芸の町 金沢と共に歩んできた老舗料亭 金城樓。しかし私たちが担う歴史は、創業史の範疇に留まりません。創業者土屋九兵衛が手にした前田孝敬屋敷跡には見事な建築と庭園が存在し、美しく華麗な百万石文化の贅と粋を既に宿していたのです。その現代では失われつつある古き良き日本文化を次の世代に繋ぎ、国内外へ発信していくことが金城樓が果たすべき第一の使命です。そして自分たちが「文化の担い手」であるという誇りと気概が、現代を生きる私たちを突き動かしています。

また金城樓は、一流料亭という地位に甘んじることなく、味、心、雰囲気すべてにおける「超一流」の老舗料亭旅館を指向します。お食事、ご宿泊、ご婚礼、ご法事に至るまで、加賀の伝統様式にのっとった場をご提供できるのは、金城樓をおいて他にないと自負しています。お客様の生涯の節目に、記憶に残る大切なひとときを作り上げることが私たちの喜びです。

昨今は金城樓という存在を広く知っていただくため、各種催しや広報活動を通じて積極的に魅力を発信しています。贅を尽くした優美な伝統を守り、繋ぐために、私たちは進化を恐れません。そして、金沢ひいては日本文化の担い手としての誇りを胸に、いつの時代も心を尽くした最高のおもてなしでお客様をお迎えいたします。

金城樓 五代目主人
土屋 兵衛

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土地のルーツ

明治二十三年のこと、金城樓初代当主 土屋九兵衛は、 味噌蔵町下中丁(現・橋場町)にて、幸運にも由緒ある邸を手に入れました。 それは前田利家公の長女に婿入りした前田対馬守の子孫が、 明治維新の廃藩置県の折に移り住んだ豪邸でした。九兵衛はこの地で料亭を開業し、金城樓は今もこの場所にあります。

江戸初期の大名茶人 小堀遠州好みの庭にあるのは、 樹齢が数百年を越え枝ぶりの珍しさを見せる槙(まき)の樹、 太閤秀吉に由来する七つの石のひとつ不二石(ふじいし)、 藩主の子孫が住む鎌倉の前田邸にあるものと対を成す獅子印璽燈籠(ししいんじどうろう)など、いずれも由緒を感じさせるものばかりです。

屋号説明

兼六園の片隅で、今も澄んだ水を湧き出させている 金城霊沢(きんじょうれいたく)という泉があります。 伝説によると、その昔に芋掘藤五郎という男が この湧き水でイモを洗ったところ、たくさんの砂金が溢れ出ました。 そこから金洗沢(かねあらいさわ)とも呼ばれはじめ、 金沢の地名の由来となったと伝えられています。「金城樓」の屋号は、この神聖な泉にちなんだものです。

しかしながら、金城樓の名には、また別の思いも込められています。 創業者の土屋九兵衛にとって、金城樓は苦労の末に手にした新たな地でした。 その大切な店が、まさに堅固な城(金城)であって欲しいと願ったのです。言うまでもなく、その思いは今も私たちに受け継がれています。

金沢と共に創業百三十余年。
金沢ひいては日本文化を継承する存在になれるよう、
これからも歩んでまいります。