まるき葡萄酒
日本のワイン産業黎明期から続く最古のワイナリー。
創業
日本のワイン産業は、明治10年(1877年)に「大日本山梨葡萄酒会社」が創業にあたって二人の青年 「土屋龍憲・高野正誠」両氏に"葡萄栽培及びワイン醸造"の技術を修得させるためフランスに派遣したのが始まりです。
社長のあいさつ
平素より弊社の製品を御愛顧いただき誠に有難うございます。
ワイナリーは葡萄の栽培に始まり、醸造、販売、この全てが重要です。
社訓である「順理則裕(理に従えばすなわち裕かなり)*」は六次産業を行う企業にとって理ともいえるこの三部門全てに真正面から全力を挙げて取り組んでいく企業でありたいという思いを込めています。
また、葡萄の栽培については畑で羊を放し、企業としてサスティナビリティにも配慮し、日本でしかできないワイン、山梨、勝沼でしか出来ないワインづくりを目指しています。
まるき葡萄酒株式会社は現存する日本最古のワイナリーとして、「Innovation throughout history〜歴史に裏付けられた革新」をモットーに新しいことに積極的に挑戦し、多くの皆様にいつまでも愛されるワイナリーでありたいと思っております。
皆様と長いお付き合いの出来るワイナリーを目指して参りますので、今後とも宜しくお願いいたします。
代表取締役 清川 浩志
栽培担当者のブドウ栽培への考え
私がまるき葡萄酒への葡萄畑の栽培担当者になってから取り組んだ栽培方法は「不耕起草生栽培」そして土台となる考え方が「サスティナビリティ」です。
定期的に草刈りはするものの畑は雑草だらけで、周りの畑と違い一切土を耕していません。 一見作業を怠けている畑に見えますが、これにはちゃんとした理由があります。
畑で葡萄の樹と一緒に色んな種類の雑草を生やすと、根が伸びて張っている土壌の中では根の周りに様々な微生物が住み着き増えます。それにより、•悪い菌による土壌病害を抑える•バランスの良い水はけと保水性をもたらす•伸びた草が多くの昆虫、小動物にとって住みやすい環境となる•葡萄の樹を狙う害虫にとっての天敵が増え、虫害を最小限に抑えるなどの効果を狙っています。
また雑草と葡萄の根が競合することで葡萄の樹自身がより生命力を高めようとすることや、借り倒した草が分解され緑肥となって土壌に還元される等も目的としています。
葡萄の生育期間、雨が多く高温多湿な日本では葡萄への病害も発生しやすく、それを抑える為に農薬散布が不可欠ですが、その年々によって違う天候に注意を払いながら必要最小限の農薬のみを使用し、葡萄の樹や畑の環境にも無理な負担をかけぬよう心がけています。
必要以上に与えず採らず、持続可能な葡萄の生育環境を整え、健全な葡萄を栽培し、良い品質のワインに繋げる。そんな気持ちで日々取り組んでおります。
ワイン醸造のモットー
ワイン造りは、常に条件の違う状況で仕込みを行うことになります。その場その時に合わせてベストの方法を選択することになります。常に一期一会です。
その選択基準は「会社にとって」「自分にとって」ではなく、最優先はあくまで「ワインにとって」であると考えます。
理想の着地点をイメージしながら少しでもそれに近づいて行くことを心がけて、日々作業しています。
日本には「日本食に合うワイン」がまず必要。その筆頭が「甲州種の白ワイン」であり、次が赤の「ベリーA」と考えます。どちらもこの甲州の地に長く根付いているぶどうです。
地産地消の産物同士がマリアージュしないわけがない。
この二つを軸にして「毎日飲むためのデイリーワイン」「特別な日に飲むワイン」をラインナップしていきます。
さらには「日本の洋食」に合う醸造専用ぶどう品種を使ったワインも視野に入れ、「お客様の笑顔・感動」を想像しながら、おいしいワイン造りを行っています。
"美味しい"という情報
この業界に入ったのが昭和61年。以来、営業一筋で今に至ります。
初めから思っていたわけではないが、私の中で信じて疑わない信念として “美味しいものなら売れる” と云う事です。
この “美味しい” という言葉がくせ者で個人の嗜好性や時代の流れによって千差万別。10人が10人とも美味しいと言う物がない。では美味しくないのか?と言えばそんなことはなく、品質が水準以上のものであっても個人的に合わないというだけの事。
店頭に並べてもらっても、販売に関して店の主人の言葉一つで大きく変わった時代は終わりました。
販売形態が大きく変わり一部を除いて商品自体が存在価値を持っていなければ売れなくなりました。
我々営業は商品の存在価値を見出し、お客様に商品情報を伝えて行く事が仕事だと思います。
情報の一つでありトップ・プライオリティーがこの“美味しい”。
これからもお客様に真の情報を提供できる様、製造部も含め努力する所存ですので、宜しくお願いします。