お手打ち覚悟のおもてなし。
おいしさに拘るふぐ料理店。
明治20年の暮れ、大時化(おおしけ)でまったく魚がとれないある日に、「魚を食したい」といっていらっしゃった初代内閣総理大臣伊藤博文公。当時の春帆楼の女将ミチは、その御膳に、お手討ち覚悟でご禁制のふぐを出しました。こころばかりのおいしいお料理を召し上がっていただくためです。このおもてなしのこころから、春帆楼の歴史ははじまりました。のちに春帆楼は、日本のふぐ公許第一号として、ふぐ料理店を営むことになります。